成田亨作品集 (The Art of Tohl Narita)
成田亨のこと 成田流里 感謝の言葉 成田カイリ 序にかえて──「成田亨 美術/特撮/怪獣」展の開催に至る、およそ15年の経緯 工藤健志
成田亨が残したもの 工藤健志
2 |ウルトラ 1965-67年 / “ULTRA”1965-67 2-1|ウルトラQ / Ultra Q 特撮美術の作業 成田 亨 2-2|ウルトラマン / Ultraman ウルトラマンの頃 成田 亨 メカニズム・デザインについて 成田 亨 2-3|ウルトラセブン / Ultraseven 3 |マイティジャック 1968年 / Mighty Jack 1968 4 |ヒューマン 1972年 / Human 1972 ヒューマン怪獣──風船獣の闘い 成田 亨 5 |バンキッド 1976年 / Bankids 1976 6 |マヤラー/ Uジン 実現しなかった企画案1 1970-80年代 / Mayala / U Jin : Unrealized Plans 1970s-80s 7 |未発表怪獣 1984-87年頃 / Unpublished Kaijus (Monsters) around 1984-87 天空獣のデザインの発想 成田 亨 8 |モンスター大図鑑 1985-86年 / A Great Illustrated Book of Monsters 1985-86 9 |日本・東洋のモンスター 1980-90年代 / Monsters of Japan and East 1980s-90s 10| MU /ネクスト 実現しなかった企画案2 1989年+1990年代 / MU / Next : Unrealized Plan II 1989,1990s 11|1970-90年代の絵画・彫刻 / Paintings and Sculptures : 1970s-90s 阿部合成先生の思い出 成田 亨 12|特撮美術 / Art of Special Effects 原爆を撮る 成田 亨
四次元空間の中の仮想の彫刻(=未来の美術?) 山口洋三 試論 成田亨と鬼、あるいは「芸能」を継ぐ者 工藤健志 他界の扉 田中 聡
成田亨 著作物および関連文献目録 作品一覧 1950(昭和25)年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)西洋画科入学。3年次に彫刻科に転科し清水多嘉示に師事。 1954(昭和29)年アルバイトで東宝映画「ゴジラ」の撮影現場の手伝いをしたことをきっかけに、映画美術の世界に入り、彫刻家として新制作展(1955[昭和30]年の第19回展から1971[昭和46]年の第35回展まで)に出品を続けながら、映画の特撮シーンを数多く手がける。 1960(昭和35)年東映で特撮美術監督。1962(昭和37)年第26回新制作展で《八咫》が新作家賞受賞、協友となる。 1965(昭和40)年、円谷特技プロダクションと契約、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「マイティジャック」の怪獣、宇宙人、メカニックのデザインのほか、特技全般を手がける。 1968(昭和43)年円谷プロを離れる。以後、ディスプレイデザイン、舞台、テレビ、映画の特撮を数多く担当。 1969(昭和44)年(株)モ・ブルを設立。 1970(昭和45)年日本万国博覧会の岡本太郎作《太陽の塔》の内部に《生命の樹》をデザイン。 1972(昭和47)年「突撃 ! ヒューマン !!」のキャラクターデザイン他特技全般を担当。 1983(昭和58)年六本木アネックスで個展。朝日ソノラマより画集出版。 1990(平成2)年京都府大江町(現・福知山市)に《鬼モニュメント》を制作。 1991(平成3)年東京・銀座に「ギャラリー宇輪」開設(1992年まで)。 1994(平成6)年北上市立鬼の館のためにレリーフ《鬼幻影》を制作。 1996(平成8)年フィルムアート社より『特撮と怪獣 わが造形美術』、『特撮美術』刊行。 1999(平成11)年水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催された椹木野衣企画の「日本ゼロ年」に出品。同年青森県が、ウルトラ関係のデザイン原画189点を購入。2006(平成18)年開館の青森県立美術館の所蔵品となった。 2002(平成14)年2月26日、多発性脳梗塞のため永眠。享年72歳。
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